
あるサーファーのある波乗りの物語
サーフトリップにありがちな話と言えば、とてつもなく遠い目的地や、危機的状況の数々、人生で最高の波や、地元の政府関係者や警察とのやり取りがあげられるだろう。
自分は 幸運な事にこの様な事すべてを含め、旅を楽しむ事が出来、さらに素晴らしいボーナスの様な事にも遭遇した。
サーフエイドインターナショナルを通じ、二度ほどインドネシアを訪れた。2回目の旅はボートでの旅であった。色々な村の現実を視察する事が目的で、ボートでの旅は村へのアクセスを容易にし昼夜を問わず訪れられる事が出来た。またボートでの旅は日の出直後から仕事前までの一時に、魔法の様なメンタワイの波を味わわせてもらう事が出来た。
サーフィン旅行記でいうと自宅より60時間近くをかけ太古の文化が息づく離島に辿り着き、最高のオーバーヘッドのレフトがブレイクするスケアクロウに問題のあるスポットに辿り着いた。波は?と言えば、グーフィーの私にはまさに天国の様なブレイクだ。私達6人は4〜5本のセットを順番に乗り回していた。セットの中の一つに一際大きな波がワイド気味で割れ、私達六人はもろに波を食らい、ボートのスキッパーは、私達の何人かはいなくなってしまったのではないか?と心配する程であった。この旅で何回かとても良い波にあたったが、語るべきストーリーの本題は、それではない。
それは島にある村々を訪れた時の事である。

村々に訪れた時、まるで探検しているような未知の感覚がしていた。
足元ではシャクシャクと珊瑚や火山から出来た砂が音を立てる、遠くから打ち寄せる波の音、南国の虫たちのブンブン音を立てて飛ぶ音。誰も辺りにはいない。更に遠くへ行けば、噂を嗅ぎ付けた大人や子供達があらゆる所から好奇心で集まり、特にブロンドヘアに対する驚きは強烈だったようである。地元の衛生士と村のお母さんとたちとのミーティング会場へ着くと、最前列は既にお母さんたちと小さい子供たちで埋め尽くされていた。ミーティングの最中に何回か赤ん坊を手渡そうとするお母さんたちがいたのだが、どうやら彼女たちは、どれだけ彼女等の赤ん坊が健康なのかを見せつけようとしていたようだ。彼女たちは自分の子供や村の子供達が自分たちの得た知識と努力で、以前より健康になったことに誇りを感じていてるようである。
旅の最後の2、3日はシポラの東側の宿からシラブへの道を西にし、ゆっくり南へと進む、夜の移動となった。このとき瀕死の事故が目の前に迫っているとは知る由もなかった。予算の関係もあり私達は河川用の大きく、遅く、船底が平らなボートで移動していた。もちろん海洋航海ではない。その日は日の出まで入り江で停泊を予定していた。真夜中を過ぎた頃には、海は大分荒れていた。数時間激しい揺れで揺られた後、碇を上げシラブの方へ回り込む事が告げられた。本格的な嵐が目の前に迫っていたのだ。
木の葉の様に揺られ水を被り続け、9時間後に小さな島時の陰に潜む事が出来た。暫くそこに留まり、震えながら未だ自分達が生きている事を確認していた。雲が切れ、荒らしの第二波がやってくる前に、パダンに向かう事に決めた。航行の最中に小休止をし、皆で海に飛び込んだ今回の難儀を震い落とす意味も込めて… 。 紺青の海原と積乱雲だらけの空を突き進むうちに、こんな風に生きる多くの人々の人生に自分を投映していた。 この星の多くの人が毎日の生活にさえ困っている。毎日の様に起こる危機的状況にろくに対応する力も持たず、嵐を乗り越え、生きる延びる為に闘う、私達の前には当たり前にある「安全」なのではあるが...

この業界とサーフィンコミュニティーを見続けて、様々な分野で先端的と言える様々な会社が、色々なサポートをしてる。リサーチグループや色々な病気の啓蒙活動、沿岸の環境保護、飢餓救済活動、マラリア、エイズ、地球温暖化、自然災害救助などローカルな活動を超えて世界的な活動をしている。サーフエイド以降、今現在は、フィルムやウェブ、テレビ等の制作に焦点を当て活動している。これから私の出来る限りの知識と時間を「チェンジを実現する」為に捧げ伝えていきたいと思っている。
自分にとって、またすべての個人やプロサーファーや、会社の重役達にとって、重要な事というのは、コーズを支える為にたちあがり身の回りそして世界中に広げてゆく事だ。サーファーとして色々な方面で違いを作っていきたい。
コミュニティーの一部を担う物として、このコミュニティーがより大きくなり、自分は常にその一部を担いたいと思う。あるサーファーのサーフストリー。旅先での社会的責任は元より、常に新たな一例として、足跡は軽く、そして印象深く広げていきたい。










